今西監督の最後のレポート「全日本選手権」
2010年6月29日 Web Staff
1年に1度の「日本一」を決定する大会、全日本選手権が広島中央森林公園で開催されました。
我々はシマノレーシングのメンバー9名そしてスキル・シマノの土井選手の10名がひとつのチームとして、優勝者を出すことを目指しました。
作戦としては、3つのパート(前半、中盤、後半)にレースを区切り、前半(阿部、島田、飯野)、中盤(鈴木譲、村上、平塚)、後半(野寺、真理、土井、畑中)とそれぞれ選手が力を発揮する場面を設定しました。
レースの方は、ほぼ想定したようにチームは機能し、すべての選手がそれぞれ期待された仕事を全うしてくれたと思います。
野寺選手にとっては、現役最後のレース、私にとっても監督としての最後のこのレースを振り返りたいと思います。
6月27日午前11:15、心配した雨も上がり、定刻15分遅れでレースがスタート。雨は上がったものの、気温が上がった分、コースは蒸し風呂状態といった不快な状態であった。
1周目、集団は一団のままでホームストレートに帰ってきた。序盤から動くはずの阿部が集団の後方に位置し、どう見ても苦しい様子。やはり蒸し暑さが影響しているようで、多くの選手が大量の汗をかき、苦しい表情が目立った。
3周目に入り、集団が分裂したとの情報。ホームストレートに帰ってきた先頭集団は20名ほどで、どこを探してもシマノの選手は居ない。後方付近に野寺と飯野を発見するも、完全にチームの動きとしてはちぐはぐといった状態。メイン集団とは40秒程度と少ないが、20名には多くの他チームの有力選手が含まれ、このまま行く可能性も十分に考えられただけに、不安を覚えた。
幸運にも集団は、愛三工業が牽引し、差を徐々に詰め始めた。その甲斐あり、4周目には集団は一体化となり、レースは振り出しに戻った。「あ~、助かった」と思わず声に出してしまう。
しかし、その直後、集団から脱落した飯野がテントに帰ってきた。序盤の動きで脚を使い、疲労困憊の様子だ。シマノは大事な戦力を1人失ってしまう。
そして5周目、本人の公約通り、阿部が日大の選手と集団を飛び出した。実は、阿部は6月初旬、オランダでのレースで膝に怪我を負っていたのだ。当初は歩くこともできない状態で、本格的な練習が開始できたのが、実は全日本の1週間前であった。
その為、私は彼の言葉を半信半疑に考えていたが、彼は集団をいつものごとく勢い良く飛び出してくれた。この動きにより、我々にとってはノーストレスでレースが運べた。序盤に遅れかけていた村上も集団に復帰し、やっと仕切りなおせる形となった。
レースの半分を過ぎて、タイム差は2分で2人は逃げ続ける。一緒に逃げる越海が辛そうなので、阿部に単独で行くように指示するが、彼も辛いらしく、首を横に振っている。
一方、集団は、徐々に差を詰めていき、9周目にはとうとう40秒となってしまう。ここで集団から勢い良く1人の選手が飛び出す。なんとシマノドリンキングの白石選手だ。彼は一気に先頭の2人を捕らえ、勢い良く先頭を引き始め、集団との差を再び広げ始めた。
しかし、ここで疲労が隠せない越海が脱落、10周目には、阿部も遅れ、結局白石が単独となった。
一方、集団では、次の動きが開始された。阿部の遅れを知った譲、村上の中盤担当の選手が、7人で飛び出した。1人になっていた白石をパスし、さらにスピードを上げる。
さらに後ろからは、平塚が西谷(愛三)らと飛び出した。彼らは一旦は合流するも、ペースは落ち着くことは無く、12周目に、4人の先頭集団が出来上がった。
メンバーは、シマノ平塚、飯島(アンカー)、西谷(愛三)、佐野(Nippo)である。ディフェンディングチャンピオンの西谷選手をはじめ、他チームのエース級の選手ばかりだ。
シマノとしては、エースを送り込んではいないが、残るゴールまでの距離(50km)を考え、逆に彼らが力を使い果たすことを狙い、静観することにした。またタイム差がひらいたとしても、大本命である新城(B-Box)や福島(クムセンアジア)が動いて差を詰めてくるだろうと判断したからだ。
しかしラスト3周、先頭の4名はさらにスピードを上げていく。先ほどまであったタイム差を倍に広げ、2分の差となってしまう。新城や福島もアタックを試みるが、どうしても単発となってしまい、集団としてスピードは上がらないようだ。
正直2分という差は、この時点で想定外であった。ここはシマノがチーム力を結集し、前を追う決断を迫られた。
ラスト3周、同じ事を考えていた真理が横を通り過ぎる際に「どうする?」と聞いてきた。「追うぞ!」私は叫んだ。
すぐさま真理は手を挙げ、選手を前方に集め、真理自らが司令塔となりペースを作り始める。島田、村上、譲が先頭を固め、前を追う。するとすぐにタイム差は1分に。ラスト2周に入ると今度は畑中が、強烈に引き始め、一気に前を視界に捉えた。
すかさず真理や土井がアタック。平塚らの4人も吸収し、本当の勝負が始まった。集団は一気に減り、10数人という状態で、ラスト1周のストレートに帰ってきた。
ここで、平塚がさらに攻撃を仕掛ける。後方を見ると新城が苦しそうに喘いでいる。この動きにより、先頭集団は9人に絞られた。
メンバーは、シマノから真理、野寺、平塚、ニッポから宮澤、佐野、増田、アンカーより飯島、清水都、そして愛三の西谷。新城、土井らの有力どころが取り残された。
Nc012
そしてラスト6km、さらに平塚がアタック、ニッポも攻撃を重ね、上り区間を終えると、先頭集団は、野寺、真理、佐野、宮澤の4人となった。
シマノとしては思い描いていたように小集団にエースを送り込むことができた。ただスプリンターの宮澤を振り切れなかったのが、唯一の誤算だが、ここは2人の力を信じるしかない。
私は高鳴る鼓動を抑えながら、祈るような気持ちでホームストレートを見据えた。
4人が牽制しながらストレートに現れた。そして遠くの一番右から野寺が仕掛けるのが見えた。多くの観客が悲鳴に似た声を上げる「野寺!!」。
しかし、その左からスピードを上げた選手が迫ってきた「あっ!」。
黒いジャージが真ん中で大きく手を上げた。先着したのはニッポの宮澤選手だった。その横をうな垂れて、2番手に真理、そして野寺がゴール。
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しかし、チームの目標に向かって作戦通りに、忠実に選手達は動き、完璧な働きだった。また引退レースでありながら、またもや表彰台に上りつめた野寺選手の勝負強さには、ただただ尊敬の念を抱くのみである。
私の監督としての最後のレース、負けはしたものの、達成感で満たされた、レースとなった事は間違いない。
一緒に戦った選手達、スタッフ、シマノ関係者の方、そして応援をして下さったファンの皆様、本当にありがとうございました。
私は、このレースを一生忘れないと思います。
Nc024
1位 宮澤 崇史 (TEAM NIPPO) 5:14:03
2位 鈴木 真理 (JPCA シマノ)
3位 野寺 秀徳 (JPCA シマノ)
4位 佐野 淳哉 (TEAM NIPPO) +01
5位 清水 都貴 (チームブリヂストンアンカー) +04
6位 西谷 泰治 (愛三工業) +12
7位 平塚 吉光(シマノレーシング)+39
15位 土井 雪広(スキル・シマノ)+2:23
17位 畑中 勇介(シマノレーシング)+4:23
21位 村上 純平(シマノレーシング)+4:34
22位 島田 真琴(シマノレーシング)+4:34
31位 鈴木 譲(シマノレーシング)+6:07















